公開: 2026年8月27日
理科でつまずく子と、すっと入っていける子。その違いのひとつは、学ぶ前にその現象で遊んだことがあるかではないかと、私は考えています。学習ゲームやパズルを作りながら、いつも意識している順序の話をします。
ブランコで何百回も遊んだ子が、理科の授業で振り子を習うとします。「ひもが長いほどゆっくり揺れる」「重さを変えても速さはほとんど変わらない」。この子にとって授業は、新しい知識の暗記ではなく、体がすでに知っていることに名前がつく時間になります。「あれ、そういうことだったのか」という納得は、丸暗記よりずっと強く残ります。
てこも同じです。シーソーで「大人を持ち上げるには端に座ればいい」と知っている子にとって、「支点からの距離」という言葉は説明ではなく確認です。
一方、体感がないまま式から入るとどうなるでしょうか。「振り子の周期はひもの長さで決まります。覚えましょう」。これは、その子にとって現実と接点のない記号です。テストが終われば消えてしまいますし、応用問題で少しひねられると対応できません。
式が悪いのではありません。順序の問題です。実感の土台がないところに式を積むと、式は宙に浮きます。土台があれば、同じ式が体験を整理する道具になります。
家庭が受け持つのは1と2だけです。3は学校に任せられます。つまり、家庭でできる最高の先取り学習は、ドリルではなくたくさん遊ばせることだ、という言い方もできます。
これから習う単元がわかっているなら、その前の週末に対応する遊びをしておく。それだけで、授業の聞こえ方が変わってきます。